2007/8 マネージャーのダイアリー
2007年8月31日
(金)
遠方より
この数日、遠方よりご来場くださるお客様が多い。
お話した方だけでも一昨日は仙台から、本日は宇和島から・東京からとありがたい。

宇和島からのお客様は50代かな?という男性がお1人で。
お話をしていると、動物の写真を撮るのは難しいという話になった。
すると、デジカメを取り出し写真を見せてくださるようなので、
「わんちゃんですか?」「いや」「ネコちゃん?」「いや」「じゃあ、ウサギ?」
なんとヤギだった!「これはペットですか?」とつい聞いてしまう。
男性、首をひねりながら「ペットではない・・・ヤギを飼っていると、猿がこなかったりするんですよ」と。
このヤギたちが真っ白で可愛いかった。

2007年8月30日
(木)
額に入れる

今回のカレンダーに使用する作品数点、四角にトリミングが出来ないものがあり、全体のバランスを考え、すべて額に入れる事にした。これらの額は1983年に出版された、佐藤の初の画集の為に描いたものだ。24年前だから、私はまだ学生の頃。
毎年カレンダーのお取引きしている小売店さんの場合は、デザインが出来る前にご注文をいただける。
ありがたいのだが、指定納期には間に合いません・・・。
慌てるとろくな事はない、一昨年の大損害を思い出してしまった。

2007年8月29日
(水)
理解はしますが
作品のデータがすべて上がったので、
私と土居はひたすら色調整と切抜き作業。腱鞘炎になりそー。

佐藤に本「手塚治 未来へのことば」を借りた。
本の「はじめに」手塚プロダクション社長松谷氏の文中のエピソード、
「アニメ制作の過程で、手塚の指示を忘れてはいけないと打ち合わせをテープにとっておいた。
2週間程たってから手塚が『私の指示と違います。描き直して下さい。』と言ったのです。
プロデューサーが指示どおりですとテープを聞かせると、『これは僕の声ではありません』と」省略。
佐藤、この手塚氏の言葉に対して「やっぱり手塚さんはすごいわ!」と・・・。
係わっている人たちの人数・規模は違うが、私からすると佐藤も同じような感覚なのだが。
理解はしますが、プロデューサーとアニメーターの気持が良く解る私です。
案の定、カレンダーに使用する作品2点、描き直すそうだ。
しかも、切抜き作業が終わった作品。

2007年8月28日
(火)
はずかしー!
時計を止めて
“Time stopped still. ”
出合った時は思わなかったけれど
君を知るうちに運命だと思うようになった
大切な人に出合った 君が好き 
君を幸せにしたい
カレンダーの7月に使用する作品。
1991年制作。今まで目につかなかった作品だが、背景を入れると良いのでは?と描いてもらった。
本日、複写データが上がってきた。
再現の難しい色、カメラマン泣かせだ。
カレンダー使用作品のタイトル・詩・英訳すべて上がった。佐藤の作業は終わりのはず。
佐藤の解読しづらい、なぐり書きの詩をパソコンでリライトする。
おかしな箇所を確認しようと内線し「確認し
たいんですけど・・・はずかしー!
口に出せません!よくまーこんな文章書けますねー」と言ってしまったのが、上の詩。
毎年、修行僧のような文章やはずかしー文章が上がってくる。
上の詩はリライトしたもの、佐藤は独特のタドタドしい文章を書く。
偉そうに人の事はいえないが、佐藤は喋るのも主語述語が反対になるような人だ。

何かおかしいなあと思いながらも、この味をくずしたくもないし・・・と毎回2日ぐらい悩む。
プロの人には許せない文章だったりするだろう。

実はこのウサギのモデルは私だ。クマはイラストレーターの橋本幸規さん。
私はグラマーではないので水着のモデルはそんなにない、とはいっても5点ぐらいはあるかな。
競泳用の水着はまだいいのだが、ビキニはさすがに抵抗がある。しかもこの時のはヒモ!
すでに、私がマネージャーだったので、アイデアラフの段階を見ている。
この作品に決まったら誰にモデルを頼むのか・・・。と思っていたら、私だった。
プロのモデルを頼む予算はないし、関係ない人はもちろんしてくれない。
スケジュールは押しているしで、断れる立場ではない。
又スプーンのスタッフは全員、仕事だと割り切りどんなモデルでも断ることはなかった。
他のイラストレーターの水着のモデルもした。
また、会社の一角で撮影するので、いつ誰に見られるか分からない状況での撮影。見方によればセクハラだな。
この時は
さすがに下に黒のスパッツを履いた。その写真はどんなだったかな?
と探したのだが、佐藤が昨年の引越で捨ててしまったようだ。
小さくなら掲載してもいいかと思ったのだが。残念というか、助かったというか。
他の水着姿があったので、そのうちに掲載します。

2007年8月27日
(月)
サイン
もらって来てん

佐藤が「長谷川くんにサインもらって来てん」と長谷川義文さんの絵本を見せてくれた。
普段サインを求められている人がそう言うと、何か可笑しくて
「サインもらって来たんですか」と吹出してしまった。しかも、かなり年下の人に。
そして「この絵本ええわ!」と『ぼくがラーメンたべてるとき』を貸してくれた。

長谷川さんのアトリエは物でいっぱいだったそうだ。
額装している原画などが積まれており、佐藤は「原画手放したらあかんで」と意見したそうだ。
川端「人には言えますねえ」、佐藤「うー人には言えんねん」
佐藤の原画は基本的に販売していないのだが、たまに理由もなく、プレゼントしてしまったりする。
一度、私が返してもらう段取りをした事がある。嫌な役目だ。

2007年8月26日
(日)
デザート
西口さんから差し入れをいただいた。
見るだけでも幸せな気分になる(^^)。
こうして、Kunioのスタッフは私筆頭に太っていく。

佐藤だけは一緒にデザートを食べても太らない。
食べたらすぐに運動したり、その分食事を減らしたりと、
自分に厳しい。あんまり厳しいのは良くないと思うのだが。
そんな事を言うと「自分にあますぎる」とお説教されるのが
目にみえているので、言わない。

2007年8月24日
(金)
運転バッチリ
昨日、うちのダンナさんは休日で義母と長浜に行った。
車のカギを落として長浜の公園の駐車場に車を置いてきたという。
たまに親孝行したら・・・。
日曜日まで行けないというので、6時起床、長浜まで愛車を取りに行った。
車は無事。もしなくなっていたら、「離婚します」と書くところだ。
ちょっと琵琶湖でも見て、と思ったのだが、結局見ず。
高速飛ばしたら2時間で着いた。生駒越えも出来るし運転バッチリ。
免許を取って2年。

生駒山はくねくねの山道で左が崖、しかもカーチェイスしているのか?というような車やバイクが多い。
免許を取って間もない頃、初めて奈良-大阪間を運転した時、帰りは高速を使わずに生駒越えした。
小雨の降る晩、恐くてアクセルが踏めず時速10キロぐらいだったか・・・。
後ろは大きなトレーラーだったので、追い越す事が出来ないようで、すごい渋滞の原因の張本人になった。
助手席で「アクセル踏め!」と怒鳴り続けるダンナさんに「踏まれへん」と半ベソかいてたのがウソのよう。

2007年8月23日
(木)
2008年カレンダー
今日は涼しい。
観葉植物が大きくなったので、大きな鉢に植え替えた。
2008年度のオリジナルカレンダーに使用する作品がやっと決まった。
この数週間で2転3転。30年程で描いた作品、約800点ぐらいはあるのだが、
カレンダーに使用するとなると意外と少ない。
また、私が良いと思っても佐藤が「この作品は使わんといて!何か気に入らん!」
などと意見が分かれる。
「この作品の何処がダメなのか解りません!」と反論するのだが、
最終的に佐藤のGOが出なければ進められない。著作者の権利というやつですね。
これを読んだ同業者は「まだそんな事してるの!」と言っているのが目に浮かぶ。
年末に配る企業カレンダーでも春頃にはデザインが出来ている世界だ。
今年は企業カレンダーは2社あったのだが、それはクライアントから
いつまでに提出など、しっかり組まれているので、それに合わせるのだが、
Kunioで作るとなると佐藤と私のGOサインで進むのだから、
お互いに我が儘になってしまう。まだタイトルもなく、
佐藤の短い詩も全く出来ていない。今年も冷汗。
11年目、毎年同じ言い合いをしている。
夏休みなんて言っている状況ではなくなってきた。

2007年8月22日
(水)
夏休み
15日から昨日まで土居、今日から片岡が夏休み。1人いないと静かだ。
土居は実家の生口島に帰っていたそうだ、「海水浴をするのか?」と聞くと、
地元の人は水着ではなくTシャツと短パンなどで、晩に泳ぎそのまま家に帰るそうだ。
気持ち良さそー!
と思ったが、夜の海ってちょっと恐そう。
私は休みを13日にとったが、その後取りそびれている。
しかし、気がゆるんでいるようで寝坊ばかりしているので、帳消しか。
佐藤は、長年予定がない限り夏休みは取らない。空いた時間は描きたい絵を描いている。

オフィス街には、晩に女性1人で食事するような店が少ない。
男性はいるけど、女性がいないという店はある。
安いけど美味しくないという店が殆どだ。
また、異質なようでジロジロ見られたりするので、うっとおしい。
以前のオフィスの近くにある【Cheerly】(チアリ)さん、遠くなったので、
めったに行かないのだが、今日佐藤と行った。
美味しいし、スタッフの皆さんの感じは良いし、晩は「バイキング晩ごはん屋」880円になる。
コーヒーも美味しい!!文句なし!
近くの時はランチにもよく行った。HPはこちら
お酒もあります、オーナーの奥さん美人。近くだったら、毎日行くのに。

2007年8月21日
(火)
フランスのアーティストご来場
フランスのアーティスト、来場。
片言の英語で対応。単語さえ知っていれば意志の疎通は出来る。
たぶん「日本で展覧会をしたいと思っており、今回の旅行で大阪と東京のギャラリーを回っている」ということだ。
ミッシェルさん、1人旅のよう。20歳代かな?
残念ながら、うちは佐藤の作品の常設。
他のギャラリーへの道を尋ねられた、手ぶり身ぶりと片言の英語で分かってもらえたかな・・。

後でHPを拝見するとフランス語だった・・・短大の時、1年だけしたのだが、全く解らない。
現代美術のようなので、ギャラリーの選択を間違えているようだ、話せれば教えてあげることが出来たのに。

2007年8月20日
(月)
「デオデオのカレンダー用作品
1986年より「デオデオ」のカレンダーの仕事をしている。(当時はダイイチ)
左は1・2月使用作品、出来たてホヤホヤ。
右は数年前に描いた作品に11・12月使用なので、帽子を描きたした。
最初はシャッターに「Merry Christmas」とらくがきのように描くのはどうか?という話だったのだが、今街でらくがきが問題になっているので、やめた。
このカレンダーは年末に店頭で配られているそうだ。

2007年8月19日
(日)
寝相
うちのワンコは
寝相が悪い。

2007年8月17日
(金)
宇野亜喜良さんの
ファンです
通販で購入した
トートバッグとブローチ
着々と増えるAQUIRAXコレクション。
先月、宇野亜喜良さんが美術を担当する「ティンゲル・グリム」の案内が届いた。
松本公演があるのに関西なし、10月は出張する時期だが。
主催者のHPを見ると、商品の販売(AQUIRAX)をしていた。
衝動買い。トートバッグが品切中になっていて、本日届いた。HPはこちら

すごく若い頃から活躍されていたそうだが、その時代はもちろん知らない。
私が20才前後の時に、本屋さんで絵を見て「こんな絵が描けたら」とファンになった。
5〜10年に1回ぐらい兄がプレゼントをくれるのだが、宇野さんの画集をプレゼントしてくれたことがある。10年後ぐらいに、その画集にサインをしていただいた。
初めてお会いしたのは、ソサエティの展覧会会場。宇野さんを見かけ、佐藤に「サイン欲しい、頼んでください!!」と言うと、佐藤躊躇。一緒にいた永井博さんが頼んでくださった。
佐藤が若い頃、雲の上のような存在だったそうだ。佐藤は「宇野さんは天才だ」という。その時にいただいたサインは額に入れて飾っているのだが、「Kirikoさんへ」となっている、普通はそう読む。その時は緊張して言えなかった。
アトリエを訪ねたこともある。そこで、原画衝動買い。
ファンだと、言っていなければ、案内が届いたりもしない。
口に出して言ってると、望みが叶うようだ。一度、仕事してみたいなあ。

2007年8月15日
(水)
福田利之さん来場
1ヶ月程前から、蛇口の調子が悪く水もれがひどかった。
本日、水道代の請求金額がすごく増えていたので蛇口を交換しようと四苦八苦していたら、福田くんが来た。
固くて取れないので頼んでしまいました。
助かった、ありがとう。この為に来たの?というぐらいラッキー!

東京で活躍してます!福田くんの原画数点持ってるから、もっと有名になってもらわなきゃ。
実は福田くんがスプーンを辞める時、捨てている原画を拾ったり、伝言のメモ(00さんより電話など)に必ずイラストが付いていたので「原画だ!」とメモも置いている。学生の時から注目され活躍していたのだが、私は「福田くんの絵、好きじゃない」などと傷つけた事がある。今の作品とっても好きです。HPはこちら
福田くんは、スプーンのもと同僚で歳が同じという事もあり、気さくに喋れる。若い頃の徹夜仲間。
1年以上ぶりに会ったのだが、来るなり「ジュリコ離婚したん?」と聞かれた!
巷で私が離婚したという噂になっているらしい、しかも東京まで・・・。『離婚してません』
一昨年、有限会社クニオを設立した時の案内状が、私の姓が変わっているので、
離婚したとか再婚したとか、噂になった事は知っていた・・・。
スプーンと別会社になった事で業界では、いろんな憶測をされているであろう事はわかるが・・・。
人の集まる場所へ行かないので、噂だけが広がったようだ。

スプーンの時は結婚しても旧姓の斎藤のまま仕事をしていた。12年前から本名は川端です。
法人の代表者は通称を認められておらず、実は法人申請する時に法務局へ相談に行ったのだが、方法はないという事だった。
代表者の名前はすべての書類・得意先への申請などもしなければいけないので名前を使い分けるのは面倒だ。
佐藤と土居は今だに「さいとうさん」と呼ぶ、片岡は1年ぐらいで呼べるようになった。
名前が変わっているので、名前で呼ばれる事が多い。
その方が好きなのだが、今さら呼びにくいそうだ。佐藤はたまに「ジュリさん」とモゴモゴ呼んでくれる。
知合いの離婚した女性が「結婚しても旧姓のままで仕事をしていたので、結婚したことも離婚した事も分からなかったので良かった」と言っていた。
そうなのだ、結婚した時に姓を変えるとあまり親しくない人からお祝いをいただいたり、
聞かれたりすることが面倒だと思ったから、旧姓のままにしたのだが・・・。

2007年8月14日
(火)
取材
(中之島倶楽部)

お盆の時期なので、オフィス街の周囲は静かだ。

JAの会員誌「中之島倶楽部」10月発行分、中之島界隈の美術館などの特集に、
掲載していただけるとのこと、本日取材。
お盆休みもない編集者は大変。

2007年8月13日
(月)
大家族
奈良ホテルの喫茶室へ行った。時間が止まっているような空間。ただ、喫煙出来るのは外の席だけになってしまった。喫煙者は肩身が狭い。
私の両親は7人兄妹の長男と長女。
昔は長男・長女の扱いが特に特別だった。その影響か家長は父、次は兄と母が決めた家族の掟のようなものがあった。食事のおかずは父だけステーキだったり、食器も違う。お風呂に入るのは父が一番で父が良いと言わない限り、先に子供は入ってはいけない。又、父の部屋が一番良い部屋、次に兄が良い部屋。
母はいつも「お父さんが働いてるから食べれるのよ、だから一番良い物はお父さんに」と言っていた。その変わり、責任も求められる。兄は私を泣かすと「お兄ちゃんでしょ」と怒られる。順位をつける事が必ず良いとはいえないが、それぞれの役割と責任は大切。家族・兄妹構成で性格が形成される事が多いと思う。

父方のお墓参りに行くと、親戚が4組来ていた。
それぞれの一家全員ではないのに、20人以上。7人兄妹が、子供がいない・離婚者など+-しても50人以上になった。昔は兄妹が多い家族があたり前、今は少子化問題。時代は巡るという、時代が変わるとまた大家族が増えるのだろうか。

2007年8月12日
(日)
ランチタイム
外出が少ない私には、ランチタイムは大切な時間だ。
橋を渡り、OMMビルかシティモへ行く事が多い。
郵便局・銀行・本屋と殆ど近辺にあるので便利だ、ついでに他の用事を済ませたり、気分転換や市場調査。
最近、OMMの地下に大きな本屋さんができたのだが、いつもすいている・・・。
便利なのだが、探し物の時はシティモのジュンク堂へ行ってしまう、何故?、

今日はジュンク堂へ行った。田中宥久子さんのマッサージ特集が目に入り、
「クロワッサン」を購入(ブルドッグ予防しなければ)。
水木しげるさんの取材が掲載されていた。最近、注目されているようで取材が多いようだが、また・・。
「クロワッサン」を購入するのは珍しいのだが・・。
ゆっくり本を読んだりしたい時は、シティモの上「さかえや」がおすすめ。
テーブル席の小さな個室が沢山あり、1人でも個室でゆっくりできる。
オーソドックスな定食か親子丼(とろっとした卵が美味しい)千円で贅沢な気分が味わえる。

2007年8月10日
(金)
熱中症に注意
直射日光の当らない部屋なのに、うちのワンコたちは朝からへたっている。
数年前にロンが熱中症になり、数万の治療費がかかったのでクーラーをつけて、出勤する。
海に行ったのだが、旅行中は何もなかったのに帰って2日後に症状が出た。
数日後に症状が出る事があるので、気をつけてあげましょう。

2007年8月9日
(木)
「自分たちで
足元をきれいに」
大阪を足元のきれいな街にしよう!
自分の家の周りを掃除しよう。
足元をきれいにすると気持の良いもの。
大阪の伝統、お上に頼らず自分たちで。
そして、お上も自らの足元を自らできれいにしよう。
佐藤邦雄
久しぶりに(1年以上)佐藤からHPに掲載してくれと、メッセージと文章を受取った。
文章については佐藤のアトリエページをご覧下さい。

佐藤のメッセージを見て、思い出した。
昨年、「大阪企業家ミュージアム」へ行き、「大阪の企業家精神のルーツ」というビデオ上映を見た。
殆どの人が知っているのだろうが、江戸時代を代表する天下の豪商『
淀屋』が「淀屋橋」を造った。
そして、今でも残る淀屋橋や心斎橋、堀川通等の地名には大阪商人の名前がつけられている。など、改めて知る。
現在とは国のシステムが違うのかもしれないが「税金を払っているんだから」と頼らず、
各企業、そして個人個人が意識をもてば、大阪は元気になるのでは。

2007年8月8日
(水)
「『 Clippin JAM』
取材
(株)ジャム・アソシエーツさんで作っているWebマガジン『 Clippin JAM』の取材。
ディレクター下間加奈さん・ライター樋口ヒロユキさん・WEBデザイナー大塩仁さん、来社。
和気藹々と3時間、楽しい取材だった。
9月15日公開される予定。HPはこちら

バックナンバーを見ると、第1回目は私が師匠と呼ばせていただいている、東學さんでした!!
ACに丁稚奉公している時にお世話になり、丁稚終了後も同じビル内だったので、会社に泊り込み状態でデザインが上手くいかない時「東さーん」と泣きつき、アドバイスしていただいた。東さんも徹夜していたわけなので、かなり迷惑だっただろう。

先日、スタッフで喋っている時、東さんの話になった。
私が東さんの事で覚えているのは、
「ジュリコ、誰も何も教えてくれへん。
俺は先輩たちが帰ったら、ゴミ箱あさってどんなふうにしてるか見た」と。
佐藤「東くん、そんな事言ったん。その言葉だけで十分や!」と。
そして、今は亡きカメラマン・ノブさんのダイアリーをデザインしている最中を見た時、写植が音符のように見え(当時はまだパソコンがなく版下に写植を貼り込んでいた)、
『東さん天才!絶対、有名になる!!」と思った。現在、本当に第一線で活躍されている。
私は、初めて口にしたのだが「東さんが独立するって聞いた時、私も行きたいと思ったんです」
パルコから出版予定の画集はまだ??5月の予定だったのでは。

ふと気づくと、私のデザインの師匠、東さん・多田さん、第一線で活躍されている。
そのわりに、私が下手なのは何故か?東さん1ヶ月・多田さん1年と、
期間が短かったという事で、お許し下さい。師匠って言ったら、迷惑だな。
精神論の師匠は佐藤筆頭、その他いっぱいいる。みんな、共通しているのは、
『生活の贅沢に執着なし。創造に対して、しつこい!』

2007年8月7日
(火)
「蜘蛛女?
夏、真っ盛り!日射しがきつい。

天神祭の時、佐藤とお化け屋敷に入った後、もしかして佐藤はお化けとか苦手なのかな?と思いながら聞かなかった。
映画「怨念」だったか?テレビで宣伝しているのが恐いという話になり、その流れで聞くとやはり苦手だったようだ。徳島に住んでいた頃、駅前のお化け屋敷に「蜘蛛女」の人形が天井に吊るしてあり、目が合ったのが忘れられないそうだ。細かく説明しようとしたので、遮った。

私は蜘蛛、大嫌い。想像して今日は眠れなくなりそうだ。

2007年8月6日
(月)
表紙ちょうだい!
今月の「婦人公論」、表紙が佐藤の好き余貴美子さんだったので買った。

「婦人公論買ったので、廻しましょうか?」と聞くと、
佐藤「あっ!あれ!表紙ちょうだい!」。
そうくるとは思わなかった。
佐藤はサバサバしてそうな女性が好きなようだ。

余貴美子さんの文中良かった言葉、あたり前だけど普段忘れがち。
最近、ひとつの仕事にたくさんの人が係わっていて、
その背景の人たちに感謝できるかが大切だと気がつきました。・・・・・・』

『なにごとに対しても反省はするけれど、後悔はしない』
Me too!(反省していない時も多々ある)
2007年8月3日
(金)
「繋がる」
だれにでもあると思うのだが、今まで気にしていなかった物・人・言葉などが、あるきっかけで気になりだし、
意識していると、関連する情報が入ってくる。意識していないと見過ごしたり、聞き逃したりする。
私は特に、興味のない情報が入らない。この点では佐藤よりひどいようだ。
スプーンにいた頃、貴乃花と宮沢りえが婚約した事を知らなかった事や、
当時人気絶頂だったラグビーの平尾がスプーンに来ると、女性陣が大騒ぎしている時、
私「平尾ってだれ?」と聞いて、なんで知らんの!とみんなにびっくりされ、
「顔見たら絶対分かるわ」と言われ、実際に近くで顔を見ても分からなかった。
奥田さんに「ジュリコは帰国子女」と言われていた。(帰国子女ではございません)

6月の日経新聞の夕刊に水木しげるさんの事が連載されていた。
「ゲゲゲの鬼太郎」などの作者だ。私は水木さんに関する知識はなく、連載途中の風景画が目に入った。
「えっ、上手い・・、まともな絵を描いていたんだ・・・」失礼。
翌日、佐藤のアトリエに行くと、その記事の切抜きが壁に貼ってある。
佐藤は水木氏の本を読んだ事があり「水木さんの生き方が好きだ」と言った。初めて知った。

数日後、ある会社の初対面の方が、水木氏の鳥取県にある記念館に行ったそうで、
水木しげるロード」の写真などを見せてくださった。
また数日後、佐藤の奥さん・娘さん家族がそこに行く予定だと佐藤から聞く。
(
佐藤はスケジュールの都合がつかず、行かない)

何か繋がってきた・・、「水木しげる氏」から始まったワードは何処に繋がるのか。
妖怪ではないと思う。

2007年8月2日
(木)
「アイデアが出ない
既に、年末商戦の商品が決まっていなければいけないのに、全く進まない。
アイデアを絞り出そうとするのだが・・・。考えていると、一層出ないようだ。
新作のカフェマグの製造が上がったのだが、十数年前のヒット商品を超える物にはなっていない。
初期の食器関係(「ひとりぼっちにしないで」の葉を組み合わせたデザインなど)は私がデザインした。
すぐに「葉のパターンと組み合わせよう」などアイデアが出た。
その頃のキャラクター物のデザインで、食器らしいパターンを加えた物は少なかった。
上手い下手ではなく、まずはアイデア・方向性が大切だ。
また、絵を描いた本人は再現性を重視する傾向にあるので、作品と商品が別物だと、
割り切る事が出来なければ、商品化は不可能だ。
最初の頃は佐藤も「ヒゲが出ていない」など再現性にこだわった。
ライセンス商品に関しては、殆どその会社のデザイナーにお願いし監修だけしているのだが、
気に入るデザイン提案でない場合は私がする。
「いける!」と思える物でなければ、製造ラインにはのせられない。
でも、「いける!」と思ってもいけない物も多々ある・・・。
アパレルに関しては、この数年すごい!とシーズンごとに感心させられる。
15年以上も1人で1人の作家の物をデザインしているのは良くないなあと最近思う。

2007年8月1日
(水)
「Cafe『PRANA』2
ランチタイムにオーガニックカフェへ行ったら、トイプードルの赤ちゃんがいた。生後2ヶ月。
3匹生まれたそうで、1匹はひきとられ。もう1匹は明日引き取られるそうだ。写真の子は手元に残すらしい。
ランチタイムに子犬と遊べてラッキー。晩に佐藤を誘って、行ったのだが、閉っていた。残念。