2005
2005年12月29日
今日で今年は最後の出社、正式には昨日で、スプーンのみんなと一緒に忘年会をした。毎年(もう15年ぐらい)近所の「桧之川」という料理屋さん??でしている。とても豪快なおかあさんがしていて、材料が新鮮でとても美味しい。メニューがないので知らない人は入りにくい。お昼の定食は650円で日替わりなので試しにどうぞ。机の上を綺麗にしようと思っていたのに結局、一部荷物の整理と床掃除だけでもう6時になってしまった。今年は何やらわけの解らない間にバタバタと終わるという感じ。目標が全然達成していない・・・。来年は性根を入れてがんばるぞ。では皆様、良いお年をお迎え下さい。

2005年12月2日
先日、佐藤とうどん屋さんに行った時、「リリーフランキーさんの『東京タワーおかんとぼくと時々おとん』を読んで泣いたわー!!電車で号泣したで!!」と。私「電車で号泣したんですか??」佐藤「別にいいやん」と。佐藤はよく泣く。映画や音楽・言葉で感動しては泣く。私が泣かないので「冷たいなー」などと言われたりするが、先にワンワン泣かれると冷めてしまう。でも、この本は泣いた。さすがに電車で号泣は恥ずかしいのでやばいと思ったところからは自宅で読んだ。母が病気で亡くなるまでの話なんて、そりゃ泣きますよ。母の世代も近いはずだし。もうオバサンと言っていい私に対しても心配ばかりしている。心配しすぎて死んじゃうんじゃない??と思うぐらい。残念ながら子供のいない私には本当の母の気持ちは理解出来ないだろうと思うが、母は偉大です。いつまでも元気でいてほしい人です。

2005年11月4日
佐藤は読んで良かった本など薦めてくれるのだが、最近ではドイツの絵本画家ドーヴァの画集、この画集には画家の文章も入っているのだが絵を描く時の面白いと感じる視点や何回も気に入らなくて描き直す事など共感したようだ。そして「フジ子・ヘミング運命の力」の特にまえがきのページを読むようにと言われた。そこには
「運命は、いつか必ずやってくる。なにかを始めて、これで成功しようなんて思っているときは、ぜんぜん成功しない。どうしてダメなんだって、ジタバタしながら思う。それは、自分の才能とは関係がない。天に運命を支配されているのだと思う。運命は誰にも公平。必ずそうなるように決まっている。人間の間で決められることではなく、天から運命を与えられる。一匹の雀の命でさえ、神様に左右されているのだから。運命は、自分の力ではどうすることもできない。一生懸命こちらがやっても、扉は開かない。だけど自分だけの力では開かない扉が、ほかからのなんらかの力で「いま!」っていうときが、必ず来る。そのいまのために、私たちは準備をしておかないといけない。チャンスを逃さないように。そのときになって、ああ準備をしていればよかったあ、って後悔するかもしれないわ。それは突然、部屋に強盗が入ってくるのと同じ。運命はいつやってくるかわからない。」「フジ子・ヘミング運命の力」より

佐藤邦雄はすごい努力家だ。本人より感じる雰囲気からは「優しそうな人」とよく言われるが、内面はとても熱く厳しい人だ。「ゆっくりしていいよ」という言葉を鵜のみにして必要以上にのんびりしたものなら、すぐに言葉はなくても厳しい目がものを言っている。「やることやったんか、自分の最大限これ以上はできないというところまでの努力はしたのか」言葉ではなかなか言ってくれないので、気付かない人もいる。(本当に怒って言葉で言う時は火を口からふいているようにキレている、たまにはキレた方がストレスがなくなっていいとは思うが)でもあの沢山の作品たちを生み出す事はどれだけの根気と体力がいるか。「儲けようと思ったら儲かれへん、ちゃんとしてたら見てくれている人はいる。自然になるようになるんだ」と。はい、おっしゃるとおりです。佐藤から本を借りると佐藤が気になったページが折られている、その折られているページのどの言葉が気になったのかを考えるのが楽しい。
2005年11月2日
私はカタログと新商品のデザインが出来、佐藤はもっていた仕事が一段落したので、やっと15日からの展覧会の準備に入る。他のギャラリーという場所で個展をするのは本当に久しぶりだ。気軽なスペースなので楽しい空間にしたいと思っている。靫公園付近にはいつの間にかカフェやショップができ、のんびりとしながらもオシャレな街になっている。この街に受入れてもらえるかどうかは分からないが、今までと違う所でするのも新鮮でいいかな。
2005年10月31日
最近物忘れが一層多くなった。もともと会社の中では他の人の机に財布やペンを忘れるなんて事はよくあるのだが、お気に入りのコートが見当たらない。休みの日に衣替えをしたので間違えて片付けたのかと思っていたのだが、探しても見当たらない!!もう売っていないクニオコレクションのスプリングコートが!!という事は何処かに忘れたという事か?この2週間程、お昼の休憩に行った店に何件か問い合せたがない。自分でもいつからないかも分からない事にびっくり、思い出そうとしてもいつ何処に行ったか全ては思い出せない。前に佐藤のマネージャーをしていた上司(今は有名なデザイナー)がよく物を忘れる人だった事を片岡に言うと「そんな事を継いだのですか」と。良い所だけ影響されればいいのに、なかなかそうはいかないようだ。
2005年10月13日
スプーンの初代マネージャーが亡くなった。当時はまだ佐藤の専属マネージャーはいなく、一人のマネージャーが何人も担当していたが、佐藤の初代マネージャーともいえる人である。関西にいながらもイラストレーションの業界で多大な活躍をした人でサントリー奨励賞も受賞した。17年?程前にスプーンを辞め独立してしまったので私は2年程しか一緒にいなかったが、ダンディーでかっこ良く雑誌やコマーシャルに出演したりとスター的な存在感のある、誰からも好かれる人だった。葬儀は東京であったのだが、佐藤も出席した。殆どの人には知らせなかったのだが、数人に知らせたところ東京在住のもとスプーンのメンバーや有名なデザイナーの方などが出席してくださった。私にとって短い期間の上司ではあったが出席したいと思わせる田中氏のお人柄、笑顔が懐かしく思い出される。お酒が大好きで、肝硬変が悪化しての最期だった。晩年はあまり恵まれていなかったようだが62歳というまだ若いといえる年齢でも幸せな人だったと思う。現在スプーンは田中氏と一緒にスプーンのマネージメント部をつくったと言える中村譲が筆頭にがんばっており、佐藤邦雄に関しては私が引き継いだ、田中利夫氏の意志は根底に残っている。
2005年10月8日
今日は佐藤・片岡・フィールドワークの岡田さん田中さんと宇野亜喜良氏が芸術監督をするダンスエレマンの公演「美女と野獣」を見に行った。私はまだスプーンに入る前、宇野氏のイラストに出会い「こんな絵が描けたらいいのに」と画集を集めた。仕事をしているうちに描く事より描く人を助ける?方が向いている事に気付いたが。衣装から舞台の隅々まで幻想的で美しい宇野亜喜良氏の世界で、とても素晴らしかった。吉川ひなのさんが想像以上に舞台栄えし美しい、バイオリニストの河井さんも美しい、ダンサーのダンスも素晴らしい。大阪公演は今回初めてだと思うのだが、どうして今まで世の中で話題にならなかったのか?と思わせるぐらい素晴らしかった。
2005年9月28日
2006年カレンダーが出来た\(^^)/今年も表紙に使用する作品は迷った。後はカタログとタオルのデザインを仕上げないと・・・。
2005年9月9日
一昨日やっとカレンダーのデザインを入稿した。4月よりスプーンに間借りしていたのだが、8月に佐藤の隣の部屋が空いたので急遽移動した。新天地は来年の春を目標にしたいが、なかなか妥協が出来ない。それに移動ばかりで少々疲れた。全体の仕事が遅れぎみなので取りあえず不動産探しは休憩。
2005年9月1日
二ヶ月もダイアリーをさぼってしまった!!誰も読んでないかなとつい忘れてしまう。一昨日にコンピューターが突然起動しなくなり、ウンともスンともいわなくなってしまった!!いろいろな方にアドバイスをいただいたりしているうちに少し先が見えてきたので、業者の方にお願いしたら見事復旧。コンピューターがないと何も出来ない状態に改めて痛感。データのバックアップは必ずとりましょう!いよいよカレンダーの材料が揃ったので、超特急でデザインにかかります。
2005年6月20日
先日、ひょんな事がきっかけで「海洋堂」さんの会社へ行った。館長さん社長さんそれぞれの奥様、皆さんとても素敵な人だった。物を創るということへのこだわりや姿勢が佐藤と共通する点が多々あり。館長さんの出版された「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある、海洋堂物語」を読ませていただき、自分のいろいろな事が走馬灯のように思い出され、とても良い本だった。
2005年6月15日
組織変更からもう二ヶ月を過ぎた。思い立った車の免許も約五ヶ月かけてやっと取れ、ひとつの小さな目標を達成。社会人になって試験というものを受け、その合格発表を待っている時間のドキドキは苦痛。免許が取れた事より、もうその為の勉強に時間が取られない事の方が嬉しい。会社が順調で余裕が出来たら、車を買って佐藤の作品をペイントした宣伝カーにするぞ!などと考えている。天王寺動物園のワゴン車はシマウマの柄がペイントされていて、なかなか楽しい。片岡が「天王寺動物園みたいな車にしてください」と言う。その前に引っ越し先を決めないと・・・。
2005年5月31日
28日(土)ずっと美術館に来たいと思っていたというお客様が2組来られた。一組は女性一人、もう一組はご家族で(お父さん、お母さん、娘さん、息子さん)娘さんが10年近く前から来たいとおっしゃって、やっと来たのに・・・と。申し訳なさでいっぱい。でもそういう方がいると思うと嬉しいし、力も出る。
2005年5月17日
ダイアリーをすっかり忘れていました。4月はなし・・・。バタバタと荷物の整理やら会社の書類関係など。だいたいは済んだのかな?新しい商品もどんどん発売され、目まぐるしく過ごす。佐藤は相変わらず、マイペース。今日は次のナンプレマガジンのアイデアラフを提出した。提出したアイデアラフだけでも8点。省いた作品など入れるといったいラフだけで何点描くの?というぐらいギリギリまでああだこうだと粘る。絵を描くこと意外の事には執着がなく、食べる物にも衣服にもこだわらない(健康には気を使って自然食などを好みます)。これが天職についたという事なのかな。
2005年3月31日
いよいよ美術館の最終日になり、閉館した。来月中学生になる女の子が朝と閉館間際に2回も来てくれた。そして、いつもご来館してくださるお客様など、今日1日はずっとありがたい嬉しい言葉を沢山いただいた。美術館をやってて良かった。閉館してから佐藤と美術館でコーヒーを飲んだ。少しだけ涙が出た。明日・明後日はあとかたずけ。スタッフみんなで組み立てた棚を捨てる・・・。淋しいけど新しいものを得るには何かを捨てなければいけない。それと、今日でスプーンのスタッフではなくなり明日からは有限会社クニオのスタッフ。する事は今までと同じだが、気持ちを新たに新規一転。ついてきてくれる片岡に感謝。
2005年3月29日
本日は朝一番に東京からお客様。10年程前に佐藤にファンレターをくださり、それからは毎年のようにお手紙をくださる方なので、お名前はもちろんいただいた写真なども覚えていた。最初にお手紙をくださったのは中学生だったそうです。今は23才!美術館に来るのが夢だったと言ってくださり、私は胸が熱くなりました。通販ではこんな感動できる機会がなくなってしまうと思うと淋しい。絶対、再開するぞ!!
2005年3月28日
有限会社クニオの設立登記申請に行った。本当は佐藤の誕生日である昨日3月27日にしたかったのだが、今年は生憎の日曜日。ということで本日の友引を選んだ。大安の方がいいかもしれないが、私は友を引くの方が良いなあと思う。定款の作成などすべて本を見ながら自分でした。こんな経験は一生に一度のはず。お勉強になりました。良い会社にしたいと思う。
2005年3月22日
閉店SALEが始まり、初日の1番手は青森のお客様!遠方よりありがたいです。19日の土曜日はスタッフみんなで倉庫整理。出てくる出てくる、どこからこんな物が・・・。何回か倉庫整理はしているものの、スプーン創立30周年、古いけど懐かしい物や見た事のない物がいっぱい。佐藤は18年程前に制作した大きなゴリラの立体作品をつぶすと言い出した。「作品は待ってください」とお願い。どこが気に入らないのか周りには解らない。佐藤は気に入らない作品はビリビリ破いたり壊したりする。いつも私は「捨てるならください!」と言うが「見られるのがいややから捨てるんや!」と。ごもっともです。
2005年3月2日
もう3月、春の香りがするようになってきました。今日はアパレル商品のライセンシーの会社サロンキティの社長さんがご来社。長年可愛がっていたわんちゃん(コーギー)がなくなったそうだ、人事ではないイヌは寿命が短いのだから先に逝ってしまう、でも人間が先に逝ってしまう方が問題か。本日神戸阪急百貨店に商品のコーナーがオープンした。梅田大丸さんにも期間限定ではあるがコーナーができた。いつの間にか東京ばかりにショップができ、関西が少なくなってさびしかったので少々安心。
2005年2月23日
私はまた先週から風邪をひいてしまい、本格的にしんどくて2/18から休んでいました。その休む前日2/17の事。佐藤と自転車で外出した帰り、私が前を走っていたのですが後でいやな音がした。横断歩道の手前で小さな女の子が自転車をもって立っておりその足下に佐藤が倒れていた!私はびっくりして引き返すと佐藤の頭からすごい血が流れている。地面も血だらけ。女の子とぶつかったのか、幸いにも女の子はかすりキズもなかった。ちょうど横断歩道の反対側に交番があったのでおまわりさんがいっぱい出てきた。私は「救急車を呼んでください!」と言い、取り合えず交番へ。佐藤は歩けるよう。女の子の両親が直ぐに来た。救急車もすぐに来た。会社の近くを佐藤と救急車の中。幸いにも1cmほど切れただけでレントゲンも異常はなかった。本当にびっくりした。佐藤の自転車はマウンテンバイクで前屈みで乗る物なので急ブレーキをかけると自転車の後輪が前に飛ぶので身体も前に飛ばされやすいのだ。女の子が出てきてすぐにブレーキをかけてそんなことになってしまったようだ。同じような自転車の事故がもう5回ぐらい・・・。気を付けてほしい。後日談:佐藤が「僕はおまわりさんが『60才ぐらいの老人が』って言った事の方がショックやった」と言った。私はあぜんとして「もうマウンテンバイクは禁止です!ママチャリにしてください!」と言いました。
2005年2月15日
2月も半ばを過ぎた。「佐藤邦雄小さな美術館」を3月末日で閉館することになった。この日記を見てる人は殆どいないと思うので、あえて発表する前の心境を書いておきたい。今のビルに引越して16年「佐藤邦雄美術館」をオープンして10年、5年後は縮小し「佐藤邦雄小さな美術館」と改名した。そして5年後に閉館。淋しいけれど、今のかたちが最終だとは思っていなかったので「また新しく作るぞ」という夢ができた。そしてスプーンと別会社として佐藤邦雄の会社を設立する。設立日は佐藤の誕生日である3月27日。世の中暗い話題ばかり、そして決して良い時期とはいえない新しい出発。でも熱い思いと夢をもって後ろ向きな事は考えず、ただひたすらに信じる道を進みたい。
2005年1月31日
もう1月も終わり、日が過ぎるのが早い。今日佐藤は次号のナンプレマガジンの作品を仕上げる日。いつも提出日の前日は徹夜をするので、朝に作品を受取り佐藤は帰宅した。今回の作品もなかなかいい感じだと思う。身内びいきかもしれないが。本の発売が楽しみ。私個人の事だが、今さらと思いながら自動車の運転免許を取ることにした。昨日は入校式だった。周りは若い人ばかり。でも学生気分は新鮮だった。6ヶ月を目標にがんばるぞ。やはり何か目標があるのはいいことだなあと感じた。
2005年1月11日
今日はエビスさんの残り福の日。会社が出来た時は大阪市北区の堀川戎の近くだったので、毎年お参りして福笹を購入するようになった。佐藤が経営者を引退してからはスプーンとは別に行くようになり、今年は佐藤と2人で行った。何か人が少ないような気がする。一番前の真ん中の昔からいるの?というおじさんの所で福笹を購入した。肩に鈴?を振ってもらい。今年も健康で平穏な日々をおくれますように・・・。天神橋商店街の外れ近くに「甚六」という昔からあるお好み屋さんに入った。いつも行列しているのに今日は空いているのにビックリ。美味しくて有名なんだけど・・・。少し辛子が入っているのが効いている。こんなお店にまで不景気の風がきているのかなとびっくりした。
2005年1月6日
毎年4日初出なのが、今年は5日から。1日休みが多いだけで、すごくゆっくりした気分。ただ、5日から美術館の展示替えと福袋の用意・ホームページの制作と初日は全員残業。みんなよく働きます。佐藤は例年どおり、年末は徳島のお母さんのところへ行き、お正月は家族でゆっくりしていたそうです。私の年末年始も例年どおり、大晦日は両方の実家へ行き、あとはゆっくりしました。ただ、私と佐藤の知合いで26日からプーケットへ旅行に行った人がおり、すごく心配しました。1月6日に会う約束だったので、取り合えず「無事ですか?」というメールを送り、安否の知らせを待っていたら、元旦に「無事帰国しました」というメールの返事が届いたので佐藤と大喜びしました。昨日、その人と夕食を一緒にしプーケットの惨状を聞きました。本当に今回の津波に関しては『運』というものがあると思いました。ニュースで見た、一人残された男の子は『運』があったという事になるのでしょうか・・・?さすがにニュースを見ながら泣いてしまいましいた。