2008/9/マネージャー川端樹理子のダイアリー
2008年9月30日
(火)
「薮内竜太さん来場」

薮内竜太さん(右)と佐藤邦雄
薮内正幸さんのハリネズミの作品が焼きつけてある、オリジナルせんべい。かわいい。
本日、3人展の最終日。薮内正幸さんの息子さんであり、美術館の館長をされている薮内竜太さんが来場してくださった。10月2日(木)〜12日(日)三重県の四日市市立図書館で原画展が開催されます。今日の午後から搬入だそうで、その前に寄ってくださった。

2008年9月29日
(月)
寒いですね

涼しいというよりも、急に寒くなった。
2日前は半袖で良かったのに、昨日からはジャケットが必要な程寒い。
急遽うちのショップも、衣替えをした。
絵本村の松村さんから珍しい豪華なブドウが届いた!
「山梨県甲州市勝沼町」より直送されてきた!
変わった形、長ぼそかったり、モコモコしていたり。
あんまりきれいなので袋から出せない、
食べるのももたいない。

2008年9月28日
(日)
「よーく見ると!」

秋物新作チュニック。
パッと見るとどこがクニオコレクション?と思うのだが、刺繍をよーく見ると、ネコ・ウサギ・イヌなど動物のシルエットをかたどっている。
このデザインは日向野さん?宮田さん?アパレルは沢山のデザイナーが係わっている。

2008年9月26日
(金)
風景が違う

禁煙をしています。3週間程経つ。
カフェやレストランに入ると喫煙か禁煙か聞かれる。
タバコを持っていないのに、「喫煙」と言いたくなる。
頻繁に行っていたカフェで禁煙席に座り、今までと風景が違う事に気づく。
そして、ランチの時間帯は全席禁煙になった店が多く、入れる店が増えた。
入院していた時はテレビでタバコを喫っているシーンをみると喫いたくなったのだが、
それほど苦痛ではなかった。(古い映画ではタバコを美味しそうに喫うシーンが多い)
退院してもとの世界に戻ると、禁断症状。
止めた人に聞くと、いろいろなケースがある。
やめて5年経つけど喫いたい」「1ヶ月程で喫いたいと思わなくなった」
「お酒の席などでは喫いたくなる」「喫いたいと思わなくなるのに1年ほどかかった」
さて、私の場合はどのケースになるのか?
今の心境では一生喫いたいと思っているような気がする。

2008年9月25日
(木)
「縁起が良い」

シスター青木にガラス製のフクロウの置物をいただいた。
一般的にフクロウは縁起が良いとされている。
クニオの近所にフクロウ専門のギャラリーがあり,
個性的で良い物を置いている。
名前がストレートで「ふくろうギャラリー」さん。

今日は名古屋の橋本さんがお知合いと来てくださった。
とても久しぶり、5年ぶりぐらい。
素敵な人が紹介してくださる人はやはり素敵だ。
写真を撮るのを忘れていた。

2008年9月24日
(水)
「早めに治療を

大手前病院に巻き爪の治療に行った。
足の親指両方なのだが、すでに爪がくい込んでいた。
入院している時の事、看護士さんが見兼ねて
「痛そうですね、ここの皮膚科で治療してますよ」と。
入院中に診察してもらい、本日処置していただいた。
歯の矯正のように針金を付けてもらうのだが、くい込んでいる爪を浮かせてもらうのが痛い。
何年も痛いと思いながら放置していた。
先生に「痛かったら言ってくださいね」と言われ、
さすがに病院でやせ我慢する気はなく数十分の処置で30回ぐらい「痛い!」と言っていた。
くい込んで膿んでいたそうだ。
もっと早く治療していれば、痛い思いをしなくて済んだのだ。

2008年9月22日
(月)
「変な会話

佐藤と私の会話。
額が何処へ行ったのか?
川「えっ、私は片付けていませんよ」
佐「僕、几帳面やから僕が片付けたんかな」
川「はい、私は几帳面じゃないから、片付けていません」
ちゃんと棚に片付けられていた。
普通はマネージャーが几帳面で片付けるものだ。

2008年9月21日
(日)
警報が出てるのに

今日はすごいカミナリ、雨が降ったり止んだり。
なのにパラパラとお客様が来場してくださる。
日曜日にしか来られないお客様がいるのだ。
学校ならお休みになるわけだが、会社の場合はどこで判断するべきなのか?

2008年9月19日
(金)
片岡のお誕生日

本日、片岡のお誕生日!『おめでとう!』
私はすっかり忘れており、土居が用意していてくれた。良く気がつく。

私が退院してから、みんなで席につくのは初めて。
改めて、倒れた時などの話題になった。
片岡と土居はダメかもしれないと思ったそうだ。
そして、佐藤は不眠になり毎日泣いていたようだ。
本当に申し訳ないことをした。
私本人は覚えていないので、現実感がない・・・。
後遺症がない事が信じられないようだ。
そういえば、意識が戻ってすぐの事、
母がダンナさんに「うちで引き取るから、家に帰ってきたらいいから」と言い。
私に「ウォーターベッド買ってあげるわ」とかわけのわからない事を言うなあと思っていた。

そういえば、入院中父の誕生日だった!!

2008年9月18日
(木)
安心したの?

私がいなかった期間の事をスタッフに聞いたりしている。
佐藤はふらっと外出して、どこへ行ったかわからない時があるのだが、
それが困ると言ったようで、毎朝自分のスケジュールを書いて伝えていたそうだ。
ところが、私が出社したとたんしなくなった。
できればしてほしい。

2008年9月17日
(水)
お騒がせ者

昨日・今日と沢山の方にお会いしたのだが、
「えっ、なんでいるの?もう退院したん」などとひかれる。
私がもう危ない覚悟しなきゃいけない、などという噂が流れたりしたようで、
普通に元気にしている私を見て、皆さんびっくりする。
こういう噂って尾ひれがついて、どんどん流れていくのだ。
ただのお騒がせ者になっている。

2008年9月16日
(火)
出社しました

今日から出社すると言うと、みんなにもうちょっと休んでもらった方が・・・と言われた。
心配してくれているのはわかるのだが、
家で寝ている方がストレスがたまるので、来ました。
さすがに休みボケ、集中力が出ない。
禁煙2週間目、吸いたーい。
2週間休んだだけで、体力の衰えを実感、階段が上がりづらい。
今週はリハビリ状態になりそう。
休んでいる間にカレンダーが出来ていた。こちらです。

2008年9月14日
(日)
退院しました

お陰さまで退院しました。
あたたかいメッセージをいただき、本当にありがとうございました。
そして、大手前病院の先生・看護士の皆様、ありがとうございました。
短い期間で済んでよかったです。

マネージャーの闘病日誌終了。
(病院にインターネットの設備がなかったので、後でアップロードしました)

2008年9月13日
(土)
沢山学んだ
ここでの最後の晩、屋上からの月と大阪城を眺めに行く。
部屋に戻ると同室の一番高齢の女性が私のベッドにいる。
「ここ、私の部屋ですね」と。私「え・・いや」。
不自由な方々、人に助けてもらうのは嫌なようでみなさんナースコールをせず、
自分で動こうとするのだが足下がおぼつかず、動ける私としては気になる。
助けたら気を使うかなと思いながらも、補助をしてしまう。
同室の方々、うちのギャラリーに来たらキャッキャと楽しんでくださるだろうなあと思うのだが、
うちは設備がととのっていない、エレベーターがなく急な階段だ。
案内したくても出来ないのがつらい。
やはり、障害者に対応できる施設が欲しいなあ。

今回の事はある意味、幸運だったようだ。後遺症もなく休養になった。
自分の状況が情けなく、周囲の気づかいのありがたさ。
「人に迷惑をかけなければ良い、人生楽しく」などという考えがあったのだが、
今回の事で、いつ何が起るか分からず、会社の責任者なのだから
健康に注意するのが義務であること、迷惑をかけるつもりはなくてもかけてしまうこと。
何より、親に心配をかける事は大きな罪。
泣いてくれる人がいるのはありがたいけれど、泣かせない方がいいわけです。
自分の心の中での問答をいっぱいしました。

2008年9月12日
(金)
なかなか楽しい2

いろいろな方々がお見舞いに来てくださった、ありがとうございました。
要海さんが「自分は好かれてたんだと思ってるでしょう」と(笑)。
今回、入院してみて、状態によるが多少不細工な姿を見せる事になるが、
お見舞いに来ていただける事がありがたく、嬉しいことだと分かった。
入院の経験なんてない方がいいのだが。

夜中騒がしくて目が覚める。
看護士さん「もう、なんですぐに呼んでくれへんの!しかもなんで3人いっぺんに」
そう、お寝しょをしてしまったのだ。(私はしていません)

遠慮なくナースコールをしてくれと言われても、遠慮してしまうようだ。
朝、士長に「川端さんちょっと」と呼ばれた。部屋がうるさいだろうから替わりましょうかと。
確かにうるさいのだが、あと2日だし、ちょっと楽しいので替わらない事にした。

2008年9月11日
(木)
なかなか楽しい

さて、4人部屋なのだが私が入ってから数人入れ代わり、
現在、3名のパーキンソン病の高齢の女性と同室。
カーテンで仕切っているお隣の女性、お話好き。
消灯後、ご自信の身の上について話し始めた。
もう終わりかと思うと「もうひとつしゃべってもいい?」と続く。
この部屋では若いので「おねえちゃん」と呼ばれている。

2008年9月10日
(水)
「感覚」
何度か佐藤が来てくれているのだが、
改めて感覚が変わっていると思った。
とにかく、私は意識を失っていてどうなるかと思ったそうなのだが
「死体みたいやってん、布がかけられてるねんけど肩が出てて」と説明してくれる。
一般的には「死んでいるようにみえた」というような表現になると思う。
頭の中で絵になっているのだろう。
パンダが点滴している姿の絵が浮かんだそうだ。

2008年9月9日
(火)
「始動」

屋上からは大阪城がきれいに見える。そういえば、学生の頃に登ったきり、登りたくなった。
入院7日目。
しばらくは、薬の影響もあり、少々頭がぼーっとしていた。
すぐに手術をしないのなら入院している必要もなく、週末に退院予定。
昨日は、東京から戸板さんがお見舞いに来てくださり、びっくり。
カテーテルを入れた後だったので、動けず顔を見ただけ。
やっぱり、気にかけていただけるのは嬉しい。
片岡と土居に資料を持ってきてもらったり、
病室で仕事を始めました。

佐藤「タバコやめて痩せる為に入院したと思ったらええねん」と。
さすがに吸っていませんが、むっちゃ吸いたい。
主治医の脳外科の先生はまだ若く(30代前半)柴崎コウに似た美人。
数時間で帰るのだが、母が毎日来る。
早合点して1ヶ月の定期を買ったそうだ。
毎日、果物とかもってくるので、痩せそうにない。
インターネットが繋がらないので、ダイアリーは後追いでアップします。

2008年9月8日
(月)
「救急車で運ばれました」
重症患者の靴下だそうだ。もう、ぬいでもいいと言われた。
携帯心電図をつけて首にかけている。異常があったらナースセンターで分かるようだ。
現在、病院にいます。
すでにいろいろな人に知られているようなので、自分で書きます。
9月4日、気づくとベッドの上。
両腕4カ所づつ程、手の甲まで針がささり点滴、
胸には心電図、口には酸素マスクをしていた。
暴れたようで、腕とふとんは血だらけ。
私はわけ分からず、看護士さんが飛んで来た。
「川端さん気がつきました!大変だったんですよ」
それから入れ替わり看護士さんや先生が来る。
「昨日と別人やな」「服をはさみで切って処置するほど
大変だったんですよ」
「呼吸器をつける時、暴れるので、上に乗ってつけました」など。
そしてダンナさんが来て、母が来て。
とにかく、パソコンで小淵沢の写真データを整理していた事は覚えているのだが、
めまいがしたとかの記憶もない。
急に気を失ったようだ。片岡が呼んでも返事がなかったので、
見ると椅子に座ったまま痙攣をおこし、気を失っていたそうだ。
すぐに救急車が来て、近くの病院に受け入れてもらえ、運が良かった。

多少、頭はぼーっとしているが、歩ける。
翌日、重病患者の部屋を出たいと伝え、一般病棟へ。
検査をしたところ、何万人に一人という珍しいものをもともと
脳に持っていたそうだ。
「脳動静脈奇形・症候性てんかん」今まで運良く発症しなかっただけだと。手術はいやだなあとか治療をどうするかは、今後検討。
取り合えず、週末には退院かな?とか思っているんだけど。

当時会社には、片岡と土居だけだった。本当に可愛そうな事をした。
びっくりしただろう。佐藤は学校へ行っていたので、連絡したそうだ。
運ばれた当日は片岡が救急車に同乗しダンナさん佐藤さん母、スプーンの奥田さんが病院にかけつけ、意識が戻るのを待っていてくれたそうだ。皆様、ご心配をおかけしました。ありがとうございました。


2008年9月2日
(火)
「えほん村と
薮内正幸美術館」
とにかく「えほん村」は別世界。建物、家具たちみんな松村夫妻の世界
松村雅子さんによるマリオネットシアター「3びきのヤギ」をみせていただいた。人形達の製作は太三郎さん。
2F展示スペース、ここに佐藤の作品が展示されている。9/8まで。
薮内雅幸美術館
実物大のオオタカなどの作品が迫力。佐藤も動物を描いているが、全然タイプが違う。薮内さんは動物が好きで骨格まで覚えており、想像で描いていたそうだ。現在、息子の薮内竜太さんが館長をしており、いろいろ説明してくださった。


2008年9月1日
(月)
小淵沢へ行ってきます

もう9月、今から佐藤・西口さん・高平さん・私で小淵沢へ行きます。
現地で福山小夜さんとその友人と合流の予定。
夕方5時頃、到着。ペンションのレストランで夕食。佐藤邦雄、西口司郎、福山小夜さんその友人である初対面の橋本真美さん、えほん村の松村夫妻・森さん、ここで初対面でひとり旅をされていた中村さん(テディベア作家)。
小淵沢では一番古いペンション「ポリアンナ」さんに泊まった。
手入れの行き届いた1500坪の庭。ヨーロッパに来たような風景。絵画の世界のよう。
私の運転とボロボは嫌だとみんなが言うのでレンタカーを借りて高平さんが運転。高平さんは地方公演でいつも運転しているのでワゴン車の長距離運転に慣れている。
この建物に2部屋あり、左に佐藤・西口、右に高平さん私が泊まった。テレビもラジオもない音のない世界。翌日福田首相が辞任したことを知らなかった。